社労士コラム 第90回

現代の企業経営において、従業員が病気や怪我の療養、子どもの育児、あるいは家族の介護に直面しながら就労を継続する「両立支援」は、人材確保および定着(離職防止)に向けた最重要課題となっています。行政機関が発表している公式な統計データからも、職場で両立支援を必要とする労働者の割合が極めて高水準にあることが裏付けられています。
| 通院・療養と仕事の両立 | 介護と仕事の両立 | 未就学児の育児と仕事 |
|---|---|---|
| 40.9 % 全就業者のうち何らかの疾患により通院しながら就業する割合※1 |
58.0 % 介護を行っている者約629万人のうち有業者(約365万人)の割合※2 |
85.2 % 未就学児を育児している者に占める有業者の割合(女性は73.4%)※3 |
- 統計は ※1 厚生労働省「令和7年国民生活基礎調査」、 ※2,3 総務省「令和4年就業構造基本調査」より
このように、就業者の多くが療養、育児または介護を抱えながら働いている現状を受け、厚生労働省は令和8年7月31日付け通達により、健康保険法第44条第1項および厚生年金保険法第24条第1項に基づく「標準報酬月額の保険者算定の特例措置」(令和9年1月1日適用)を発表しました。
通常の随時改定(月額変更届)のルールでは、「固定的賃金の変動」があった月から「継続した3か月間」の報酬実績を確認した上で4か月目に改定されます。療養・育児・介護(以下、「療養等」という。)のための所定労働時間の短縮や時間外労働の抑制等の就労形態などの調整(以下、「就労調整」という。)による賃金変動であっても同様で、支払われている賃金の実態に即した標準報酬月額に改定されるまでにタイムラグが生じ、その間は従前の高い社会保険料負担が維持されてしまうという課題がありました。
そこで今回、療養等と仕事を両立するために、本人と会社の合意の下で就労調整が行われ、標準報酬月額が2等級以上低下し、かつその状態が3か月以上続くことが予め見込まれる場合に特例措置が設けられることになりました。固定的賃金の変動の有無にかかわらず、報酬減となった初月の翌月から速やかに、現状に適合した形で標準報酬月額を改定することで、被保険者等の経済的負担を軽減することができるようになります。
(1) 対象者の要件
健康保険・厚生年金保険の被保険者および厚生年金保険70歳以上被用者のうち、以下の①〜③の条件をすべて満たす者が対象となります。
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① 療養等と仕事を両立するための就労調整が行われていること
- ・療養: 被保険者本人の傷病の治療等、または家族の傷病治療等に伴う看護等が必要な場合。
- ・育児: 小学校就学の始期に達するまでの子(未就学児)の養育にかかる場合。
- ・介護: 要介護認定または要支援認定を受けている家族の介護にかかる場合。
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② 就労調整により報酬が急減し、急減後の報酬総額を基にした標準報酬月額が従前より2等級以上低下し、かつその状態が3か月以上続くことが予め見込まれること
- ※固定的賃金の変動(単価変更等)の有無は問いません。例えば、就労調整により残業免除となり、標準報酬月額が2等級以上低下することになった場合にも対象となります。
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③ 特例措置による改定を行うことについて、対象者本人が書面で同意していること
対象外となるケース
- ・報酬減となった初月の翌月に被保険者資格を喪失する者(保険料が賦課されないため)。
- ・被保険者期間が報酬減となった初月を含めて3か月未満である者。
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・報酬減となった初月の全部にわたって勤務せず、報酬が一切支払われなかった者。
- ※特例措置は就労継続を前提としているため、休業・無給状態の場合は両立しているとは言い難いため対象外となります。
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・支払基礎日数が17日(特定適用事業所の短時間労働者等は11日)未満の月。
- ※支払基礎日数の取扱いについては後述の「支払基礎日数の取り扱い」をご確認ください。
(2) 特例措置での改定時期と手続き方法
特例措置における改定時期、申請に必要な書類、および実務上の留意事項は次の通りです。
改定の時期(効力発生月)
就労調整を行ったことにより報酬が減額となった初月の「翌月」から標準報酬月額を改定します。通常の随時改定(月額変更届)に比べて2か月早く改定を受けることができます。ただし、届出を行った月が「報酬減となった初月」として取り扱われるため、実際に報酬が下がった月にさかのぼって改定することはできません。届出が1か月遅れれば改定も1か月遅れますので、就労調整を始めた月のうちに届け出てください。
提出書類と申請先
会社は、以下の2点の書類を添付し、日本年金機構(事務センターまたは年金事務所)に提出する必要があります。健康保険組合に加入の場合は、同時に組合への提出も必要です。
- ① 被保険者報酬月額変更届(特例改定用)
- ② 申立書兼同意書(事業主の申立て事項および被保険者本人の書面同意)
支払基礎日数の取り扱い
就労調整により勤務しなかった日(欠勤や不就労日)がある場合であっても、所定労働日数に変更がなく労働関係・使用関係が継続しているときは、報酬支払の有無にかかわらず当該勤務しなかった日も「支払基礎日数」として含めて取り扱います。ただし、未出勤日を含めても支払基礎日数が17日(特定適用事業所の短時間労働者等は11日)未満となる月は対象外となります。
一方で、就労調整が終了・縮小したことにより報酬が増加した場合は、報酬支払が無かった日は支払基礎日数として取り扱われません。報酬減となった初月の支払基礎日数の取扱いと異なるため注意が必要です。
事業主における証明書類の保存義務(2年間)
日本年金機構や健康保険組合からの事後的な確認(調査等)に対応するため、会社は特例措置の届出および申立書兼同意書の内容が事実であることを証明できる書類(出勤簿、賃金台帳、医師の診断書、戸籍・住民票、介護保険被保険者証等)を届出日から2年間確実に保存しなければなりません。
就労調整終了時(報酬増加時)の改定義務
療養等による就労調整が終了または縮小したことで報酬が増加し、増加後の報酬総額を基にした標準報酬月額が特例改定後の額に比べて2等級以上上昇した場合には、固定的賃金の変動の有無にかかわらず、速やかに届け出た上で、報酬増となった初月の翌月から新たな標準報酬月額へ改定する義務が生じます。なお、「報酬増となった初月」は、就労調整が終了・縮小して標準報酬月額が2等級以上上昇した月を指します。届出の月を基準とする「報酬減となった初月」とは考え方が異なり、届出が遅れた場合でも、改定の効力は報酬増となった初月の翌月に遡ります。
対象者本人の書面同意取得時の注意点
社会保険料減額のメリットだけでなく、給付額減少のデメリットを十分説明の上、同意を得る必要があります。特例措置を適用すると、毎月の社会保険料負担が軽減されます。あわせて、高額療養費の自己負担限度額は標準報酬月額による所得区分で決まるため、区分をまたいで下がる場合には自己負担限度額も下がります。一方で、標準報酬月額が下がることで、①将来受給する厚生年金の受給額が減少する、②傷病手当金や出産手当金を受給する際の支給日額が低下するという不利益も生じます。これらの効果と不利益の双方を事前に対象者へ丁寧に説明し、十分に理解・納得した上で「申立書兼同意書」に署名を得ることが重要です。
(3)令和9年1月1日の適用に向けた人事・労務の実務対応
特例措置の運用開始(令和9年1月1日)にあたり、会社が措置開始前に対処・準備しておくべき実務ポイントを整理しました。
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制度の社内周知と本人説明及び同意取得のための準備
両立支援制度(育児時短、介護短時間、傷病治療中の時短等)を利用する従業員に対し、令和9年1月より社会保険料の特例改定制度が利用可能になる旨を周知しておきましょう。
また、標準報酬月額低下に伴う年金額や傷病手当金・出産手当金への影響をわかりやすく解説する資料を作成したり、「申立書兼同意書」に基づく同意取得のプロセスを整備しておきましょう。 -
証明書類の保管・管理体制の整備
医師の診断書、子の年齢確認書類、介護保険証の写し、出勤簿、賃金台帳などの特例措置の要件確認にかかわる資料を「届出日から2年間」安全かつ確実に保管できる管理ルールを決めておきましょう。 -
就労調整終了時(報酬増)の確認体制の整備
特例措置適用者の就労調整期間が終了または縮小し、報酬が2等級以上再上昇した際には「報酬増の初月」から速やかに増額改定を行う義務があります。復職・通常勤務復帰のタイミングで漏れなく手続きできるよう仕組みを構築してください。
特例措置は遡及適用されないため、手続き遅延により従業員の不利益が出る可能性があります。また、就労調整終了時の増額改定は事業主の義務であり速やかに行わなければなりません。年明けからの実施となる特例措置ですが、制度内容と手続きをしっかりと確認して、漏れ無く手続きを行うために必要な対策を今から準備しておきましょう。